毎年12月17日~19日までの3日間、東京都台東区・浅草寺では「羽子板市」が開催されます。
江戸時代から続く「歳の市」のひとつとして、浅草寺の境内は羽子板のほか、様々な露店が並び賑わいます。そんな羽子板市についてご案内します。
羽子板市はいつから?
12月の風物詩となっている「羽子板市」ですが、いつ頃から開催されていて、人気があるのでしょうか?羽子板市は「歳の市」とも言われていますが、その歴史について見てみましょう。
浅草寺の「納めの観音」
浅草寺では、毎月18日は、観世音菩薩の縁日として参拝者が訪れます。
そのなかでも、12月18日は納めの観音として、特に参拝者が多かったため、境内には年の瀬に必要な、正月用品や縁起物などを売る露店が集まって賑わうようになりました。
やがてその規模が広がっていき、
納めの観音が行われる12月17日・18日に開かれる市を、「歳の市」と呼ぶようになりました。
浅草寺では、この納めの観音にあわせて、法要が行われ、「恵比寿大黒御影」や「縁起小判」が授与されます。この小判は、毎年買って少しづつ増やして積んでいくことで、福徳を得るとされています。
浅草「歳の市」
もともと「市」というのは、神社・寺院の縁日に合わせて立つことが多いです。
浅草の「羽子板市」の前身ともなる、「歳の市」は1659年の両国橋が架けられた際に始まりました。
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歳の市とは、
12月に、正月飾りや食品など正月準備の商品を売る市として開かれています。
江戸中期までは、歳の市が立つのは、浅草に限られていました。
浅草から蔵前・浅草橋・上野まで露店が出ていました。
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そんなに広い範囲でお店が出ていたんだね。
皆でおでかけして、買い物して賑わっていたのかな?
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この市に買い物に行けたのは、武士や商人の男性のみだったのよ。
家来や奉公人を連れ立って街に繰り出し、市で買い物をして、料理屋で食事をする様子がもてはやされました。
その後、浅草の歳の市の後に、神田や深の門前にも市が立つようになり、女性たちも出かけられるようになりました。
新年の正月用品を売る歳の市でしたが、浅草では江戸中期~末期になると、羽子板を売る店が増え、
特に押絵羽子板が注目され、羽子板市として大繁盛していくようになりました。
羽子板とは
お正月の歌にも、羽子板遊びの歌詞があり、昔は家の床の間などに羽子板を飾っている家も多かったです。そんな羽子板とはどういったものなのか、由来を見てみます。
羽子板はいつ頃からあるの?
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羽子板は、お正月に飾ってあるイメージがあります。
羽根つきで遊ぶこともあったんだよね。
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羽子板の古い呼び方は、「こぎいた」と呼ばれていて、
室町時代にはすでに宮中や公家の正月遊びとして行われていました。
羽子つきのことは、「こきの子勝負」などと言われていたようです。
その後、足利将軍家が宮中へ羽子板を献上したことから、遊び道具の羽子板とは別に、
ご祝儀・贈答品としても用いられるようになっていきました。
羽子板は、最初は絵具などで板に直接絵を書いたもの。
宮中の儀式の様子や、松竹梅・花鳥図などが描かれていました。
江戸時代に入ると押絵細工の羽子板が主流になっていきます。
そして、浮世絵の登場とともに、図柄の構成や色彩も豪華で華やかになりました。
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江戸では当時人気だった、歌舞伎役者を描いた羽子板が出されると、
女性たちの爆発的な人気を集めました。
その年の人気の芝居や役者の羽子板がずらりと並び、
売れ行きが役者の人気を表してもいました。
縁起物としての羽子板
このようにして、羽子板には、遊び用と飾り用とが利用されていました。
災厄をはらい幸福を祈る意味があるとして、お正月遊びや新年の贈り物として用いられています。
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羽子板は「災いをはねのける」として、
特に女の子が生まれた家のお正月には、成長を願い、厄を祓うものとして、
羽子板を贈る習慣が盛んになりました。
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羽子板の羽根は、黒い種がついているんだよね?力してください。
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羽子板の羽根には、無患子ムクロジの種がついています。
ムクロジは「子が患わない」とか「無病息災」の意味があるとされています。
そして堅いムクロジの豆は、「魔除けになる」「マメに暮らせる」などの意味も
込められているとされています。
また、羽根が虫を食べるトンボに似ていることから、
悪い虫や病気を食べるトンボが厄を祓うとの意味もこめられています。
羽子板の買い方
露店には様々な羽子板が並んでいます。お正月用品としてだけではなく、お気に入りの役者などの羽子板が欲しくなる人もいるでしょう。しかし、羽子板の値段はいくらくらいなのでしょうか?
値段がついてない?羽子板
手ごろなものは、1,000円くらいから販売されています。最近では、500円くらいのミニチュアの羽子板なんかも人気のようです。
羽子板の値段は、大きさはもちろんのこと、デザインや押絵の度合いによって値段が変わってきます。
しかし、露店を見ていると、値段がつけられてない羽子板があります。
これはお店の人に話を聞いて色々と会話を楽しみながら、値段を知っていく露店ならではの買い方です。
酉の市での熊手の買い方もそうですが、このやりとりが粋であり、値引きしてもらった分は、お店の方のご祝儀として渡すような買い方です。
購入が決まると三本締めをして、さらに縁起を担いでくれます。
押絵羽子板には、高価なものが多いですが、板に手描きしたものは、手ごろなものも多いです。
まとめ
12月に行われる、浅草の羽子板市についてご紹介しました。
現在の「浅草歳の市・羽子板市」は、毎年12月17日~19日の3日間開催されています。
江戸時代は歌舞伎役者の羽子板がその年の世情を表す人気でしたが、今では、その年に活躍したタレントや俳優・スポーツ選手などの羽子板が話題となっています。
今年は誰のどんな羽子板があるのか、色々な店を巡るのも楽しいかもしれません。
もちろん、羽子板以外にも、沢山の飲食店など露店が並びますし、観音様の縁日ですので、しっかりと浅草寺をお参りして、新しい年の福を呼び込めるようにしたいものです。
2023年12月17日~19日 9:00~20:00まで
期間中は、大江戸助六太鼓の演奏や、芸者さんとの撮影会、自分で羽子板にお絵描きするコーナーなど色々なイベントも開催されるので、詳しいことをチェックしてから行くのもオススメです。
浅草寺:台東区浅草2丁目3-1
東武スカイツリーライン・東京メトロ銀座線・つくばエクスプレス・都営地下鉄浅草線
各浅草駅徒歩5分