10月も半ばを過ぎると、朝晩はひんやりしてきます。
コートなど上に羽織るものの用意、かけ布団の準備、暖房器具の掃除などを考える時期です。
和菓子屋では、この時期限定の季節の和菓子「亥の子餅」が販売されます。
近年は、節約にもなると見直されている、炬燵。
電気の無い時代は、火をおこすことで暖をとっていました。
この時期に昔から行われている、「炬燵開き」・「炉開き」・「玄猪の日」についてご紹介します。
「玄猪の日」とは?
「玄猪」とは、言葉自体はあまり馴染みの無い方もいるかもしれません。
「玄猪の日」は2023年は11月1日。
2024年は11月7日。2025年は11月2日となっていて、毎年固定の日付ではありません。
日付の由来も含め、昔から行われてきた行事の一つである、「玄猪の日」について見ていきましょう。
「玄猪の日」はいつ?
旧暦10月1日は、「玄猪の日」現在は主に11月に行われています。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
10月最初の亥の日・亥の刻(午後10時ころ)に、
「亥の子餅」という、猪の子供に見立てた和菓子を食べて、
無病息災を願っていました。
また、多産の猪にあやかって、子孫繁栄を願う行事としても行われていました。
![話す男の子](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/8a6a5781ccaba672502e6f225d142ea7.jpg)
亥の日・亥の刻って、今は聞かないよね・・・
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
昔は、今の数字のカレンダーとは違っていたの。
12カ月・12時間を十二支の干支の動物を当てはめて使っていました。
「玄猪の日」はいつから行われている?
10月最初の亥の日。この日に餅を食べると万病を防ぐと、古代中国では信じられてきました。
この中国で無病息災のおまじないとされたものが、平安時代に日本に入ってきて、宮中で取り入れられるようになりました。
朝廷の内匠寮(宮中の調度品などを司ったところ)で、
猪の子供の形に作った「亥の子餅」を奉る儀式である「御玄猪」「亥子祝」を行っていました。
「亥の子餅」はどんなお菓子?
「亥の子餅」は「玄猪餅」「厳重」とも言われます。
猪の子供をかたどった、楕円形をしたお菓子です。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
猪の子供の形にした餅は、
子供を沢山産む猪にかけて、「亥の子餅」として子孫繁栄を祈った
とも言われています。
「亥の子餅」は地域やお店によって特徴が少し違っていて、生地は餅や求肥でできていたり、
胡麻やきなこなどがまぶしてあるお餅で、茶色が多いです。
以下、現在和菓子屋で販売されている主な亥の子餅を写真で紹介します。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
「亥の子餅」の存在については、
平安時代の紫式部の「源氏物語」の中にも登場しています。
![話す男の子](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/8a6a5781ccaba672502e6f225d142ea7.jpg)
平安時代から作られていたんだね。
昔からずっと同じ形のお菓子なのかな?
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
当時は、
大豆・小豆・大角豆(ささげ)・胡麻・栗・柿・糖(飴)の7種類の
粉を入れて作った餅で、今とは少し違っていました。
その後、宮中では、赤・白・黒・の小餅が主流となっていきます。
そして贈り物として、銀杏や紅葉・菊の花などを添えて紙で包むこともありました。
武士の時代に広がる「玄猪」の行事
平安時代に貴族の間で行なわれるようになり、武士の時代になっても、
「玄猪」の行事は行われていきました。その流れを見ていきましょう。
鎌倉~室町時代の「玄猪」の行事
鎌倉時代には、武士の間で、猪が沢山子供を産むことから、子孫繁栄を願う行事として広がります。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
室町時代になると、幕府の重要な行事として、
黒・赤・白・黄・青の五色の亥の子餅が、
将軍から武士に下賜されるようになります。
![話す男の子](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/8a6a5781ccaba672502e6f225d142ea7.jpg)
幕府の行事として、儀式化されていったんだね。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
そう、儀式化されて、
様々な餅の種類やその包み方などの作法も決められていったようです。
十文字に紐を掛けた、小箱に銀杏の葉をあしらった「玄猪包」という包み方や、
香合の道具も生まれました。
江戸時代の「玄猪」の行事
江戸時代には、武士の中で、さらに儀式として定着していきます。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
亥の月(10月)の最初の亥の日・亥の刻を「玄猪の日」として定めて、
「玄猪の祝」という幕府の正式行事となりました。
江戸城では、玄猪御祝儀として、諸大名が夕方5時頃から江戸城に登城し、将軍が大広間に出てきて、五色の餅を大名に与える儀式が午後8時ころまで行われました。
そのため、江戸城の大手門と桜田門の前には、日暮れから夜遅くまで、篝火が焚かれていました。
武家の間では、紅白の餅を家臣に配り、町では牡丹餅を亥の子餅といって食べていました。
(牡丹は猪の隠語として使われていました。)
子孫繁栄から火除けの行事へ
無病息災や子孫繁栄を願った「玄猪」の行事は、やがて、この日に炬燵を使い始める行事も加わり
変わっていきます。そして庶民の間にも広がっていった「炉開き」について見ていきましょう。
「玄猪」の猪は火災除けの祈願に
火事の多い江戸時代の町人にとって、「玄猪」は大切な行事とされていました。
![話す男の子](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/8a6a5781ccaba672502e6f225d142ea7.jpg)
猪は子孫繁栄のほか、火とも関わりがあったのかな?
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
猪は火伏の神様である愛宕神社の使いとされていました。
そのため「玄猪」の日に炬燵や火鉢などの火を使う道具を出して使い始めると、
火事にならないと考えられました。
古代中国では、万物は陰陽の二つに分けられて、「木・火・土・金・水」の五つの要素からなっているという陰陽五行説がありました。
猪はその中で水の性質に入っていて、水の力で火災を防ぐことができる、という縁起担ぎとして考えられていました。
そのため、火事にならないようにと、「玄猪の日」に囲炉裏や炬燵を使い始める「炬燵開き」をするようになりました。
「炬燵開き」は武士から
「炬燵開き」は、10月の亥の日に行い、この日から炬燵や火鉢・囲炉裏などに火を入れて使うようになりました。来客に火鉢をすすめるのもこの日からとされていました。
武家の「炬燵開き」は、10月最初の亥の日に行われ、
そして身分の差で、町民は12日後の2番目の亥の日に行うと決められていて、
この日から囲炉裏や炬燵を開いて火鉢を使い始めました。
地域に伝わる「玄猪」の行事
名前や形が変わっても、この「玄猪の日」という、無病息災・子孫繁栄・暖房器具を使用する際の
火災除けを願う行事は行われていて、各地に伝わっています。そのいくつかをご紹介します。
京都・愛宕神社の「亥子祭」
京都の愛宕神社では、11月1日に「亥子祭」が行われます。
愛宕神社は火伏の神様です。
火除札は京都の家庭の台所や店の厨房・茶室などに火事除けとして貼られています。
「亥子祭」は、平安装束の姿をした女性や子供が、胡麻・小豆・栗の粉の三種類の玄の子餅をお供えをする行事です。この餅は皇室に献上され、参拝者にも振舞われます。
農家の収穫祭と「亥の子餅」
猪は農耕の神様として農村では祀られています。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
農耕の神様は、
旧暦2月の春の亥の子の日にやってきて、田んぼに稲や麦を作り、
農事が終わる旧暦10月の秋の亥の子に帰っていくとされていました。
この秋の収穫が終わる「一番亥の子」に、収穫の実りに感謝して、
亥の神様の好物である、小豆の餡を餅にまぶした「いのこ餅」をお供えしたり、
振舞ったりする風習があります。
また、平安時代の「亥子祝」という貴族の行事と農家の収穫祭と合わさって、
西日本では、「亥の子祭」という祭りが行われています。
亥の子石という石で地面を叩いて、雑穀を混ぜて作った亥の子餅をもらって歩く行事があり、
これを食べると無病息災で過ごせるとされました。
関東では、旧暦10月10日に「十日夜」という似た行事・収穫祭が行われていて、田の神様に餅や
牡丹餅を供えたり、「亥の子突き」という男の子が藁や石で地を打つ習慣もあるようです。
和歌山県にある「いのこ餅」は、牡丹餅のような見た目で里芋を使っています。
同じように奈良県には、「いもぼた」と言われるものがあります。
火事を防ぐ「炉開き」
武士や庶民の間では、暖房器具を使う「炬燵開き」の行事が、「玄猪の日」とともに行われるようになりましたが、武家の時代に隆盛した茶道の世界でも、この日は特別な日として、今でも伝わっています。
茶人の正月「炉開き」と「亥の子餅」
茶道の世界では、現在では11月の「亥の日」に、風炉という夏の間に持ち運びができる炉を片付けて、
5月~10月に閉じていた「炉」に初めて火を入れる「炉開き」が行われます。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
「炉開き」は、茶人のお正月とも言われる、茶道の世界では特別な日です。
炉とは、お茶用の囲炉裏でお茶を入れるための湯を沸かす場所のことです。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
「亥の日」に「炉開き」や「炬燵開き」をして、
お茶席で火事が起きないように願います。
その「炉開き」の茶席菓子として、「亥の子餅」が用いられています。
炉開きは、炉を開いて火をおこし、その年に摘み取られた新茶で、新たな新年を迎える日。
新茶が詰まった茶壷の口を開ける「口切り」の茶事もあり、炉開きと口切りの茶会が行われます。
まとめ
「玄猪の日」というと堅苦しくも感じますが、「炬燵開き」・「炉開き」というと、イメージがしやすい感じがします。
行事は時代や地域・身分によって、意味や形を変えつつも、同じような時期に、同じような事が行われていることが多いです。
是非、お店で「亥の子餅」を見かけたら、是非亥の子餅を食べて、そろそろ炬燵の準備をしてみてはいかがでしょうか?