老舗が並ぶ日本橋の街。その日本橋の秋の風物詩と言えば、宝田恵比寿神社で行われる「べったら市」です。日本橋本町にある宝田恵比寿神社の大祭で、恵比寿講に合わせて催す縁日です。
べったら漬けを始めとする漬物の露店など、500以上の屋台が出店し、歩行者天国となって街は賑わいます。その「べったら市」の様子をご紹介します。
「べったら市」の開催はいつ?
日本橋の「べったら市」は毎年10月19日・20日に行われています。
宝田恵比寿神社:JR総武線の新日本橋駅または、東京メトロの小伝馬町駅から徒歩2~3分
この神社を中心に付近は歩行者天国となります。
夜までやっているので、仕事帰りに寄り道してみるのも良いかもしれません。
神社から周辺の通り沿いには提灯が掲げられ、べったら漬けをはじめとして、
江戸の老舗の店や様々な飲食店・物販の店の屋台が並びます。
「べったら市」の始まりは?
日本橋本町辺りは江戸時代、商売の盛んな地域であり、商人たちを中心として、
10月20日に恵比寿講が行われていました。
恵比寿講・例大祭の前日の宵宮に市が出て、20日の恵比寿講に使うお供え物などを販売していました。
次第に露店や、織物商人たちが集まって市は大きくなり、祭りとして発展していきました。
「べったら漬け」とは?
べったら漬けは、当時の特選品として江戸の人たちにとても人気でした。
![話す男の子](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/8a6a5781ccaba672502e6f225d142ea7.jpg)
大根の麹漬けを、どうして
「べったら漬け」と呼ぶのだろう?
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
麹のついた大根を丸ごと荒縄で縛って持ち帰るときに、
手や着物に麹がべったりついたから、「べったら漬け」と言った。
売り手の人達が買い物客に「べったらべたら」とふざけながら言って売った。
など、麹のべたべたした感じを表現しているようです。
べったら漬けは、大根を塩で下茹でして、砂糖や飴と米麹で漬け込んだ甘い漬物です。
たくあんとは違って干さないため、水分が残っています。
【皮つき】大根を皮のまま使っているため、歯ごたえがある。
【皮なし】大根の皮を剥いているため、柔らかいのが特徴。
江戸時代、最後の将軍・徳川慶喜もべったら漬けを好んで食べたと言われています。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
「べったら市」は、この時期に収穫が始まった大根を漬物にして「べったら漬け」として市で売り出したのが始まりです。
江戸末期に書かれた『守貞漫稿』にも記されています。
屋台で楽しむ老舗の味
べったら市では500以上の露店が通りに並びます。
べったら漬け以外にも、日本橋の老舗の屋台などがたくさん出ています。祭りに必須の手ごろな食べ物のほか、老舗の食品や伝統工芸品なども販売されます。
いくつかある通りの両脇に、沢山のお店が並んでいるので、探して歩くだけでも見どころが多くて迷いそうです。お酒を片手に、つまみの数々で祭りの賑わいを楽しむのもオススメです。
老舗の味を屋台で気軽に
日本橋の街には老舗が軒を連ねていますが、一軒一軒まわって歩くのも大変です。なんとなく普段使いの買い物としては敷居が高い感じもします。
しかし、べったら市の時は、そんな老舗が屋台の出店として登場します。歩きながらふらっと見て買えるので、とても人気です。
榮太樓本舗(飴・和菓子)・海老屋総本舗(佃煮)・にんべん(鰹節・麵つゆ)
人形町今半(肉まん・メンチカツ)・魚久(京粕漬け)・七味香本舗(七味唐辛子)
小春軒(洋食)・文明堂(カステラ)・貝新(佃煮)・伊勢定(うなぎ)・
伊場仙(扇子・団扇)・江戸屋(刷毛ブラシ)・黒江屋(漆器)
梅花亭(和菓子、恵比寿講の時だけ販売される切り山椒)
小津和紙(トイレットペーパー・ティッシュ)など日用品も販売されています。
棒に小判・福升・米俵の張り物などの縁起物が糸でつり下がった「おたから」という
恵比寿講ならではのものが売られているのも風情があります。
宝田恵比寿神社と恵比寿講について
べったら市は江戸から続く、日本橋の秋の風物詩となっています。
19日には御神輿や山車が出て、20日にはべったら音頭という盆踊りも開催されます。
夜は神社前の大提灯や辺りの提灯に灯りがともり、夜祭を一層盛り上げます。奉納された提灯には老舗の名前や歌舞伎役者さんの名前も並んでいます。
宝田恵比寿神社の前身、宝田神社はもともと宝田村という村の鎮守でした。
江戸城を拡張する際に移転されることになり、それを担当したのは、馬込勘解由という人。
彼は家康が三河から江戸に入城する際に随行した人でした。そして、神社の移転を任された際に、家康から恵比寿様を授かり、それを宝田神社の御祭神として祀りました。
ちなみに恵比寿像は鎌倉時代の名匠・運慶の作とも言われています。
恵比寿講とべったら市について
日本橋の地で名主となった馬込勘解由は、家康ゆかりの各地域から商人たちを集めました。
そして江戸で物資・商売の地として賑わう地域になっていきました。
商売繁盛・家族繁栄・火除けの守り神として商人たちに親しまれた。
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10月は神無月とも言いいます。
これは、日本の様々な神様が出雲大社に集まる月とされているためです。
![話す男の子](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/8a6a5781ccaba672502e6f225d142ea7.jpg)
出雲に神様が出かけていなくなってしまうので、神無月と言うんだね。
![話す若い女性](https://kurashiniikasu-wanotie.com/wp-content/uploads/2024/02/5d4ee55246573b6735422cb50343c550.jpg)
そして留守番の神様として、恵比寿様が残って人々を見守っていたそうです。
商人たちは、商売繁盛の願いも込めて、10月20日に恵比寿講を催して、
恵比寿様にお供えをして、家族などで集まりを開いていました。
やがて、それがべったら市へと発展していきました。
えびす講について気になる人は、こちらの記事もチェックしてみてくださいね。
まとめ
日本橋宝田恵比寿神社の「べったら市」についてご紹介しました。
祭りをひも解いていくと、地域の様々な文化や歴史を知ることができます。秋の夜長に、日本橋の歴史を感じながら散策をしつつ、美味しい老舗の味で、楽しいひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか?
椙森神社にも寄ってみよう
【椙森神社】
宝田恵比寿神社から徒歩5分。
平安時代に藤原秀郷が平将門の乱を鎮めるために祈願をしたと言われる神社。
室町時代、大田道灌が干ばつから人々を救う雨ごいのため、京都の伏見稲荷神社を椙森神社に祀ったととして、椙森稲荷とも呼ばれていた。
江戸時代に火災で焼失。その再建の費用を集めるために、「富くじ」が始められた神社でもある。
江戸時代、江戸城下の三森(烏森神社・柳森神社・椙森神社)のうちの一つとして信仰を集め、
日本橋七福神の一つにもなっています。
べったら市の際には、神楽や囃子の奉納もあり、賑わいをみせます。
べったら漬けは、江戸時代とは違い、きちんとビニール袋に入れてもらえますが、臭いや持ち帰りが気になる方は、郵送も受付していますので、遠方の方でも安心してお買い物ができます。是非、祭りとともに、江戸の人々に愛された、べったら漬けも一度味わってみて下さい。