7月25日はかき氷の日。夏の定番かき氷は高級品?その歴史とは。

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7月25日はかき氷の日 今日は何の日

目にも涼しいかき氷。今では夏冬を問わず、一年中かき氷を楽しむ人が増えました。
お店ごとに美味しそうなかき氷が沢山あって目移りしますが、昔は高貴な人でさえなかなか
手に届かない高級品でした。
そんなかき氷の歴史を振り返って、改めてかき氷の魅力を感じてみましょう。

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かき氷はいつから食べられていたの?

今ではお店でも家庭でも、気軽に食べられるようになったかき氷ですが、冷蔵庫のない時代はどうしていたのでしょうか?
いつから、いまのようなかき氷が食べらるようになったのでしょうか?
かき氷の歴史について紹介します。

清少納言も食べていた?平安時代のかき氷

かき氷の記録としては、平安時代の書物、清少納言の「枕草紙」の中にも書かれています。

話す若い女性

「あてなるもの。削り氷に甘葛入れて新しき金鋺に入れたる」

「削った氷に甘葛(あまずら)という甘いシロップのようなものをかけて、金属のおわんに入れて食べる」という意味です。

このように、清少納言の時代には、すでに氷は食べられていました。
しかし、冷蔵庫のようなものは無かった平安時代。氷はどうしていたのでしょうか?

氷は、冬の間に山などから天然の氷を取って運んできて、「氷室」という場所に保管しました。
夏になると氷室から氷を出し、都まで運ぶという、氷を手にするのは大変なことでした。
また、甘味料も少なかったため、甘い食べものも、高貴な人しか口にできない貴重なものでした。

 

氷室で冬の間氷を保管する

 

宇治金時は甘いもの好きな家康から?

戦国時代・豊臣秀吉のころになると、きび糖と抹茶を氷にかけた「宇治氷」というものが食べられるようになりました。
その後、江戸時代・徳川家康にかき氷を献上する際に、甘いものが好きだった家康のために、
宇治氷の上にあんこを添えて出したものが「宇治金時」になったという説があります。

宇治金時

現在のかき氷
宇治金時は、抹茶に水と砂糖を加えてシロップにしたものを氷にかけているものをいいます。

宇治とは?
京都の宇治茶からの名前が由来ですが、宇治茶を使わなければいけない、
という訳ではありません。
金時とは?
金時豆を使っていたのが由来ですが、今では小豆や小豆餡をのせていることが多いです。

かき氷と行事について

貴重で高貴な人しか食べられなかったかき氷は、どのような存在だったのでしょうか?

宮中では、
「氷室の節会」とよばれる、6月1日に氷室に保存しておいた氷を食べる行事がありました。

これが江戸時代になると、将軍家でも献上された氷を食べるようになりました。
加賀藩から「6月1日の氷の朔日」に雪氷が献上されたという記録が残っており、交通網が限られた江戸時代に、金沢から東京まで氷が解けずに運ばれていたことがわかります。

庶民の間では6月1日を「氷の朔日」と言って、お正月の餅を氷らせてから乾燥させて保存しておいた、氷餅を食べるようになりました。

 

お店でかき氷が食べられるようになったのはいつから?

行事の中でのかき氷が、普段の生活の中でも食べられるようになったのは、いつからでしょうか?

初めてのかき氷屋ができる

かき氷がお店で食べられるようになったのは、
1869年(明治2年)横浜の馬車道に氷水店が開店したのが最初と言われています。。

町田房蔵という人が開店したこの氷水店は、「あいすくりん」というアイスクリームを初めて発売した店としても知られています。
馬車道の道路には、「太陽と母子の像」が、アイスクリーム発祥の地の記念として設置されています。

1889年には、村上半三郎が氷削機を発明し、現在のかき氷機のようなものができました。
明治時代の人達は、氷水の露店や売り歩きの氷売り商人から、氷を買って食べていました。

話す若い女性

その後
1877年ころに日光市で「三ツ星氷室」
1894年「松月氷室」
1890年秩父に「阿佐美冷蔵」

などのかき氷店が次々と開店して、お店で食べるかき氷が広がっていきました。
そして、戦後になると、冷蔵庫が普及するとともに、家庭用のかき氷機が発売されるようになり、
家庭でも自分でかき氷を作って食べられるようになりました。

 

かき氷削り機 きょろちゃん

話す若い女性

1975年「アサヒ玩具」の「氷かきぺんちゃん」
1978年「タイガー魔法瓶」の「きょろちゃん」

などは、家でかき氷を作れるようになり、懐かしい人もいるのではないでしょうか?

 

7月25日は「かき氷の日」

氷を食べることは貴重な機会とされてきましが、現代にも「かき氷の日」があるのをご存じでしょうか?

7月25日は「かき氷の日」に

7月25日は、社団法人日本かき氷協会が制定した「かき氷の日」です。

なぜこの日になったかと言うと、
「7=な・2=つ・5=ごおり」のごろ合わせとなる日であることと、
1933年7月25日は、山形県で当時の日本の最高気温40.8℃が記録された日であり、
「かき氷」の日にふさわしいとして日として制定されました。

氷旗はかき氷を販売する印

話す男の子

かき氷店では、
店先に「氷」と書かれた旗を見かけるのはなぜでしょう。

 

話す若い女性

これは「氷旗」といいます。
もともとは、検査に合格した業者が使える営業許可の旗でした。
この旗を店に掲げることが義務付けられていた時代に、旗に氷の生産地などを書いて出していました。それがイメージとなって、今でも旗を掲げてるお店が多いです。

 

天然氷が食べられるかき氷店は?

平安時代に、冬の天然氷を夏まで保存しておいた氷室がありましたが、現代でも天然氷を作っている氷室は存在しています。

現代の氷室とかき氷店

現代でも天然氷と作る氷室があり、かき氷店にもその天然氷を使っているお店があります。

特に栃木県日光には三大氷室と言われる天然氷の製造蔵元があります。
「三ツ星氷室」・「松月氷室」・「四代目徳次郎」の三か所
です。

●「三ツ星氷室」は氷作りと卸売のみ行っています。
「日光さかえや」という、日光駅近くの揚げゆばまんじゅうで有名なお土産屋では、
三ツ星氷室のかき氷を使っています。

●「松月氷室」は、日光市今市に「松月氷室本店」という松月氷室の直営のかき氷店を出しています。

●「阿佐美冷蔵」は、秩父郡皆野町の金崎本店と、秩父郡長瀞町の寶登山道にかき氷店があります。

松月氷室と阿佐美冷蔵

 

まとめ

かき氷の歴史について振り返ってみました。
どんどん進化するかき氷。
昔は山から都に氷を運んできて食べていましたが、今では、様々なかき氷の味を求めて、私たちがお店に足を運ぶ時代になりました。
今後も様々な見た目や味のかき氷が登場していくのが楽しみです。

日本橋かき氷フェスティバル2024

2023年にも開催された、「日本橋かき氷フェスティバル」が今年も開催されるようです。

今年で、16回目を迎える「ECO EDO 日本橋 2024 ~五感で楽しむ、江戸の涼~」
こちらが、2024年7月12日(金)~9月1日(日)に開催されます。

期間中は、「浴衣で楽しめるまち日本橋」をテーマにした様々なイベントが行われます。
その一環として、日本橋の老舗や様々なお店がプロデュースする、かき氷が登場します。
ここだけの限定かき氷などを、食べ比べするチャンスです。
浴衣を着て、日本の夏を体感してみては、いかがでしょうか?

■「日本橋かき氷フェスティバル2024」
期間:7月12日(金)~7月15日(月・祝)
場所:CORED室町テラス大屋根広場
時間:12:00~18:00※予定
https://www.nihonbashi-tokyo.jp/ecoedo/shaved_ice/
順次、ホームページで情報が更新されるようです。

今年は、どこで・どんなかき氷を食べるのか、楽しみが広がります。