毎月23日は「天ぷらの日」というのは、ご存じでしょうか?
特に夏の7月23日頃は、一年で最も暑さが厳しくなる「大暑」と呼ばれる時期です。
そのため、夏バテ予防のために、スタミナのある天ぷらを食べようと定められたようです。食べるときに特別感を感じる、天ぷら。その天ぷらの歴史を振りかえってみます。
日本に天ぷらが伝わったのは?
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和食のイメージがある天ぷらは、
いつから日本で食べらているのでしょうか?
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天ぷらの元祖は、
ポルトガル料理の「ペイシーニョシュダオルタ」と言われています。
モロッコインゲンに小麦粉と卵の衣をつけたもので、
今の日本の天ぷらと違って、フリッターのようなものです。
では、天ぷらはいつ・どんな風に日本で広がっていったのか、その歴史を見てみましょう。
天ぷらの起源は?
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天ぷらは室町時代
鉄砲の伝来とともに「南蛮料理」として、ポルトガルから伝わったようです。
今の日本の天ぷらの原型とされているのは、「長崎てんぷら」と言われています。
南蛮料理の伝来より後の、安土桃山時代にポルトガル人が長崎に伝えたとされています。
水を使わずに、小麦粉・卵・酒・砂糖・塩を混ぜた衣を使ったもの。
衣に味がついていて、厚い衣のフリッターのようなものでした。
天ぷらの語源は、ポルトガル語の「tempero(調理する)」からきているという説があります。
カトリックの人たちの間では、「テンポーラ」という祈祷と断食を行う四季の斎日があります。
キリスト教では、肉を絶って魚を食べる期間を「temporas」といって、
斎日になると、野菜や魚に小麦粉の衣をつけて揚げた料理を食べていたそうです。
それにならって、長崎のキリシタンの人達がテンポーラを作って食べていたと言われています。
しかし、油が貴重だった昔では、大量の油を使う天ぷらは、庶民にはなかなか手の届かない食べものでもありました。
江戸時代、天ぷらは庶民のファストフードに
江戸時代になると急速に庶民の生活の中に、天ぷらが広がっていきます。
それは、当時の屋台文化の発展とともに、天ぷらを気軽に食べらるようになったからです。
江戸で広がった天ぷら
貴重だった油の生産が広がってきたのは江戸時代初期です。
油の生産が増えるとともに、その頃の江戸の町では様々な「屋台」が発展して人気となっていました。
ファストフードのルーツとも言える屋台では、寿司・うなぎ・蕎麦・天ぷらなどがありました。
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天ぷらは、エビ・コハダ・イカ・アナゴなど、一本4文(約100円)
屋台は立ち食いスタイル。江戸の天ぷらは串に刺してありました。
衣はうすく、味付けはほとんどなく、大根おろしと天つゆをつけて食べました。
文献に初めて「てんぷら」が登場
「てんぷら」の名称が記された最初の文献は、1669年の「料理食道記」と言われています。
現在の天ぷらのような調理法が書かれた最初の文献は、1748年「歌仙の組糸」とされています。
「てんぷら」の作り方
「歌仙の組糸」の中では、
「てんふらは、何魚にでも饂飩の粉をまぶして、油にて揚る也。但前にあるきくの葉てんふら、
又牛蒡、蓮根、長いも其他何にでもてんふらにせんには、饂飩の粉を水醤油とき塗付て揚る也」
という記述があり、うどん粉をまぶして油で揚げたのが天ぷらと書かれています。
また、江戸では、「金ぷら」「銀ぷら」と言って、衣の色を変えて揚げているものが登場します。
「銀ぷら」:卵の白身を使い、油も変えて揚げる。白金色の衣の天ぷら
天つゆの味
現在の天ぷらは、塩や天つゆを付けて食べますが、江戸時代の天つゆは今のものとは異なっています。
19世紀の当時の風俗を描いた喜多川守貞の『守貞漫稿』によると、
天つゆや蕎麦つゆには砂糖を使っていたようです。
現在の天つゆには、みりんが使われていますが、江戸時代のみりんは、高級な調味料でした。
みりんは、うなぎの蒲焼や、料理茶屋など高価なものに使われ、天つゆには砂糖を使っていました。
江戸と上方で違った天ぷら
江戸で庶民に親しまれていた天ぷらですが、
上方(関西)では、同じ天ぷらと言ってもその内容は違っていました。
地域で違った天ぷらの中身
「上方の天ぷら」 魚のすり身を丸めて揚げた「はんぺん」のこと。
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今でも、
関西や四国・九州では、魚のすり身を揚げたものを
「天ぷら」と呼ぶところがあります。
岐阜や愛知の辺りでは、魚のすり身を丸めて揚げたものを「はんぺん」と呼び、
九州では「つけ揚げ」と呼んでいるようです。
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関東では、魚のすり身を揚げたものは「さつま揚げ」と呼んでいるよね。
関東大震災(1923年)以降になると、震災で職を失った人たちが日本各地に移り住むようになり、
東京でも、関西風の天ぷらである、すり身の揚げたものが食べらるようになったり、
江戸の天ぷらが全国に広がるきっかけにもなりました。
全国のおもしろい天ぷら
江戸時代から天ぷらは全国各地で食べられていましたが、地域によって中身に違いがありました。
今でも地域の伝統食として、様々な天ぷらの食べ方が伝わっていて、その一部を紹介します。
全国の意外な天ぷら食べ方
【天ぷらまんじゅう】
長野県では、お盆の時期に「天ぷらまんじゅう」が食べられています。
まんじゅうの中身はこし餡が主流です。
揚げ饅頭とは違い衣がサクサクしていて、塩や天つゆにつけて食べます。
その他、福島会津・岐阜・島根・東京・滋賀などでも、まんじゅうを天ぷらにして食べています。
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●島根県の太田市の紅白の天ぷらまんじゅう
紅白のまんじゅうを一つにして揚げたもので、切ると2色の色が楽しめる。
●岐阜県の飛騨の紅白の天ぷらまんじゅう
赤と白のそれぞれの天ぷら饅頭を、合わせて並べて紅白にしたもの。
など、地域で少しづつ違いがあります。
【天ぷらラーメン】
北海道や青森で食べられているのが、天ぷらラーメンです。
天ぷらそばのように、ラーメンにかき揚げや海老天をトッピングしたものです。
その他にも・・・
●青森・岩手:南部せんべい天ぷら
●静岡:お茶の葉の天ぷら
●大阪:紅ショウガ・もみじの葉の天ぷら(一年間塩漬けしたもみじを天ぷらにします)
●愛知:天ぷらを入れた味噌汁
●香川:金時豆の天ぷら(金時豆の甘煮を天ぷらにしています)
●沖縄:もずくの天ぷら
まだまだ、地域によってその土地ならではの様々な天ぷらの楽しみ方がありそうです。
まとめ
今でも人々を惹きつける天ぷら。
江戸時代の屋台の串揚げスタイルから、やがて料亭で出されるようになり、一般家庭でも天ぷらを揚げて食べるようになりました。
揚げもののイメージの天ぷらですが、実は、衣の中で素材は油に直接触れることがないので、具は蒸されいるとも考えられ、旨味が凝縮した蒸し料理とも言われてます。
徳川家康の死因は鯛の天ぷら?
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徳川家康の死因は鯛の天ぷらという説を聞いたことがあります
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上方商人の茶屋四郎次郎が人気の南蛮料理を紹介したところ、
鯛のすり身を天ぷらにして、薬味をのせた南蛮漬けのようなものを食べたそうです。
食べ過ぎて食あたりをおこした家康は、その後も腹痛がおさまらず、
天ぷらを食べてから3カ月後に亡くなったといわれています。
天ぷらが直接の原因ではないでしょうが、江戸では天ぷらが人気だったこと、美味しくて食べ過ぎてしまうものとして、表現されているのかもしれません。
私たちも、美味しいからと言って食べすぎに注意して、様々な天ぷらを楽しみたいものです。